Sunday, December 7, 2008
じゃあ`
今学期の日本語の従業の方が前学期より面白いと思います。もう難し文法や単語を勉強したから、本当の日本人は毎日使う会話をはなせます。それから、先生と友達にメールを書く時も日本語を使えるから、私は本当に嬉しくなります。今は二年生の学生で、来学期日本語もとりたいです。そして、来年の夏休み日本に留学に行くつもりだし、その時、「もっと日本語を頑張って勉強すればよかった」と思うのが欲しくないし、来年も绝对もう一度頑張ります!
Saturday, December 6, 2008
私のプロジェクトーーー手塚治虫
手塚治虫は日本で有名なマンガかで、1928年に大阪で生まれて、神戸で住んでいました。子供時代、 天文学や昆虫学が興味を持つ事になりました。その興味は大人時とても大切になりました。
1946年に大学を卒業した手塚治虫は「マアチャンの日記帳」という始めの漫画を発表しました。それから、一年後、「新宝島」という 漫画を作りました。その漫画を書くために、新しいスタイルを使ったそうです。今も漫画を書く人が使うから、そのスタイルは日本の漫画の歴史の中で大事です。
手塚治虫は有名なてつわんアトムという漫画を書きました。その漫画は1963年大きいテレビ局でアニメになって、皆日本人は本当に好きだったそです。そして、このアニメのへいきんしちょうりつ(平均視聴率)は30%以上人気があって、その後、世界で色々な国でも発表しました。あなたも見たことがあるかもしれません。それから、アトムのアニメは大ヒットになったから、一週間に一回テレビで出ていたそうです。今の漫画もそのように出ています。
子供の時は四十時代だから、手塚治虫は戦争の経験がよくあったそうです。だから、手塚治虫は一生の間に漫画を読む人が彼の作品を読むと、平和について考えるのが欲しかったです。今まで手塚治虫の漫画は四百五十冊作って、日本で漫画の賞を九個もらいました。
しかし、治虫さんは1989年に病気になり、がんで亡くなったが、病気の時も仕事を絶対続け、「火の鳥」を書きました。亡くなる前に「えんぴつをかしてくれませんか」と聞いたそうです。手塚治虫はいつもがんばっている人だから、それは本当に治虫さんのようなことです。
手塚治虫の漫画の学生は今も昔も多いです。たとえば、八十時代の子供が一番好きなドラゴンボールというアニメを作った鳥山明によると、いつも手塚治虫の漫画をまねたそうです。それから、ドラえもんの作者も治虫の学生だし、手塚治虫は本当に日本の漫画の父だそうです。一九九四年、治虫の切手が出って、珍しかったから、手塚治虫のファンはとても喜びました。そして、三年後、手塚治虫は住んでいる町で手塚治虫の資料館が開けて、手塚治虫に興味がある人は日本に行ったら、そこに行くといいですよ
Tuesday, November 18, 2008
日本の有名人浜崎あゆみ
浜崎あゆみは現在日本を代表する女性ポップス歌手の一人である。 歌手デビュー後のオリジナル楽曲は全て自身で作詞している。女性歌手でありながら、歌詞の中に『私(わたし、あたし)』以外に『僕(ぼく)』を多く使い、 また、複数を指す『〜達』、『〜ら』が多いことが彼女の詞の特徴である。 また、自身の暗い心の闇も歌詞に綴り、男女を問わず多くの若者から共感を得た。浜崎あゆみ自身もCREAとして、作曲を手がけたこともあった。
また、名字の「浜崎(濱崎)」の正しい読み方は「はまざき」ではなくて「はまさき」である。自身の出身地である九州地方に多い名字である。犬(小型犬)好きでチワワ、ダックスフントなどを飼っている。仕事場に連れてくるのはもちろん、ライブツアーのMC中にステージに登場することもあった。 『タイム』誌アジア版2002年3月25日号の表紙を飾り、2007年か ら初の海外公演(台北、香港、上海)を含むライブツアーが本格的に行われ、東アジア地域への進出も果たしている。歌手デビュー前にボイストレーニングのた めに渡米しているが、デビュー当時は英語は不得意だとコメントしていたため、ほとんどの歌詞は日本語であったが、2002年以降は英語詞を含めた楽曲も多 く発表している。2006年12月にCNNの日本特集『Japan now』期間中に放送された対談番組『Talk Asia』では、短時間ではあったが英語でを披露している。
Monday, April 28, 2008
スッビチ
I feels like this one is better than last semester's, but still...it sounds horrible - - don't know why my voice is that weird....><
Final project Draft
リウ: あのね、キユウさん、今日ほかの日本語のクラスの学生の話をちょっと聞いたんだけど・・・シェイハウスについて話していたんだ。シェイハウスは何?
キュウ: シェイハウス?外国語のりょうなんだけど、どうして聞くの?
リウ: 金曜日にそこでイベントがあると聞いたんだ。
オム: イベント?ああ、金曜日にシェイハウスでこわい映画をみせるんだ。リウさんは行く?
リウ: 行きたいんだけど、私はシェイハウスに行ったことがないんだから、そこまでの道をわからないんだ。
キュウ: バージニア大学の病院を知っている?
リウ: うん、しっているよ。
キュウ: 病院の出口から左にまがって、JPAどおりを五分ぐらいいって。シェイハウスはみちの左がわにあるよ。
リウ:ええ、五分?シェイハウスの近くに来る時どう分かるの?
オム:ビルの前に名前が書いているから、大じょうぶだ。
リウ:本当?
オム:うん、本当だ。
キュウ:よかったら、今一緒に行こう?
オム:行こう。行こう。
・・・
キュウ:来たよ。あれはシェイハウスだよ。
オム:うん。それから、「シェイハウス」と書いている。
リウ:きれいね。
キュウ:うん、2002年のなつにつかったんだ。
オム:じゃあ、シェイと言う人ははらったから、名前はシェイになっただろう?
キュウ:ううん、作った時に名前はマンロウラんゲージハウスだったけど、2003年に名前はシェイハウスになった。
リウ:じゃあ、どうして名前シェイハウスになったの?
キュウ:ビンセント・シェイは長い時にバージニア大学のせいじと国際関係とビジネスのせんせいだったり、ビジネスの学校の校長だったりして、バージニア大学で有名な人だった。だから、名前はシェイハウスになったんだ。
オム:じゃあ、たてものをはらったひとはだれ?
キュウ:バージニア大学がはらったんだ。シェイハウスを作るのは六百五十万ドルかかったんだ。
オム:ええー、よく知っているね。
リウ:入ろう。
・・・
リウ:えっ、ここは食堂なの?
オム:うん、バージニア大学のりょうの中で、シェイハウスだけに食堂があるんだ。
リウ:べんりね。
オム:うん。
リウ:じゃあ、ここでだれも食べてもいいの?
オム:まあ、学生と先生だけと思う。
キュウ:じゃあ次に行こうよ。
オム:あっ、そうだ。食どうのとなりにだい所もあるんだ。学生が使ってもいいんだけど、使ったあとにそうじしなくちゃいけないんだ。
リウ:じゃあ、学生がよくここでりょうりをするの?
オム:ここに住んでいる学生がよくりょうりするんだけど、シェイハウスで食べものがあるイベントの時にほかの学生もここでりょうりをするんだ。
リウ:イベント?どんなイベント?
キュウ:たとえば、シェイハウスでカレーナイトがあったんでしょう。その時ジャパンクラブの員はだい所でカレーを作って、ここの食どうに人がたくさん来て、カレーを食べたんだ。私も行って、カレーの後、ここでこわい映画を見たんだ。
リウ:ええ、そんなイベントがここでよくあるの?
オム:うん。この間、ここでジャヤパナソンがあったんだ。日本の文かやれきしについてしつもんがあって、食べものもあるイベントで、人がたくさん来たんだ。それから、タイクリルというイベントもあったんだ。タイのやきとりや、タイのサラダがあイベントだった。ぼくは行かなかったけど、おいしかったと聞いたよ。
リウ:たくさんあるね。
オム:うん、それよりもっと文かのイベントがあるから、シェイハウスはアジアの国の文かを知るのにとてもいい所だよ。それから、いつも色々なイベントがあるから、ここはつまらなくならないよ。
リウ:そうね。金曜日にここにこわい映画があるんだ。ところで、映画をどこで見せるの?食堂で?
キュウ:ううん、映画はほかのへやで見せるんだ。
オム:ぼくはそのこわい映画のイベントに行ったことがないよ。どこで見せるの?
・・・
キュウ:ここで。
オム:カンフィレンスルーム?
リウ:二百十一A. ここは二階じゃない。
キュウ:ビルの入り口は二階にあるからね。
リウ:ああそう、さあ中へ。ええ、ここにきょうしつがあったんだ。
オム:それで、どうやって見せるの?
キュウ:あのプロジェクターを使って、見せるんだ。
オム:ええ、じゃあぼくは来学きここでクラスをとるんだ。
キュウ:クラス?ここで?
オム:うん、来学きぼくはシェイハウスで中国語のクラスをとるんだ。
リウ:オムさんは来学きここに住むんでしょう?
オム:うん。
リウ:いいね。毎朝起きるビルでクラスをとるのはいいね。
オム:そうだよね。でもその後すぐさと先生のクラスに行くから、大へんだよ。
(nervous laugh?) えっ、さと先生もここを聞くから、早く次に行こう。
キュウ:あっ、そうだ。もう一つのきょうしつがるよ。
リウ:こくばんに分からない語でなにか書いているよ。ところで、ここは外国語のりょうよね。ここに何語の学生がすんでいるの?
オム:中国語と日本語とアラブごの学生が住んでいると思う。
キュウ:それから、ウルドゥー語のペルシア語のとイタリア語の学生も住んでいるよ。
オム:外国語がたくさんあるね。
リウ:それで、ほかの階に何かおも白いものがある?
オム:ないよ。別に。人のへやだけだよ。
Friday, April 11, 2008
Final final final one= . =
私の一ばん好きなスポーツ
子供の時に友だちは私が学校の中で一番スポーツが好きな人だと言っていました。その時はしゅうくだいやしけんがあまりありませんでしたから、よくクラスの後で、友だちと一緒にいろいろなスポーツをしたり、山にのぼったりした、すごくおもしろかったです。だから、子供の時、私は将来中国で一番いいスポーツせんしゅになりたかったです。
スポーツの中で、スケートが私の一番好きなスポーツです。十一年前に中国でコーチは私にスケートをおしえることがはじまりました。毎週の週末スケートのクラスが有った、毎日れんしゅうも有りました。コーチは中国で一番いい男のせんしゅでしたが、ちょっとこわかったです。みんな学生はクラスを休んでわいけなっかたから。私はその時にれんしゅうを休んだことがありませんでした。だから、れんしゅうの後でとてもつかれた、何もしませんでしたが、スケートをするのが上手になりましたから、前よりかんたんになったと思いました。
今から、スケートをするのがとくいですが、アメリカに勉強しに行った、大学のせいかつのほうがいそがしいと思いますから、ぜんぜんスケートをしません。ところで、このごろ、私は前より元気じゃありませんから、運動することがいりますよ。だから、私はしょう来スケートするをがんばって、みんなは今度一っしょにスケートをしませんか。
Tuesday, March 25, 2008
Speech Second Draft
スポーツの中で、スケートが私の一ばんすきなスポーツです。十一年前に中国でコーチにスケートをおしえるのがはじめました。毎しゅうのしゅうまつスケートのクラスがあって、毎日れんしゅうもありました。コーチは中国でこうりすべりをするのが上手ですが、みんなはクラスをやそんではいけなかったから、ちょっとこわいと思ういました。だから、私はその時にれんしゅうをやすんだことがありませんでした。そして、クラスの後でとてもつかれていた、何もしませんでしたが、れんしゅうでスケートをするのが上手になりましたから、前よりそのスポーツはかんたんになったと思いました。
今まで、スケートをするのがとでもとくいでしたが、大学にべんきょうしに入うって、いそがしくなったから、あそぶ時がなくなりました。それから、しゅうまつによく新しい友だちと一っしょにパーティーに行って、おどりましたから、大学のせいかつのほうがおもしろいと思ういました。だから、スケートをするのひさしぶりですよ。でもこのごろすずしくなって、私は前のほうが元気ですから、うんどうするのがいりますよ。だから、私は来しゅうのしゅうまつスケートをするつもりです。
Monday, March 24, 2008
Mixing class on Firday
Thursday, March 20, 2008
まねきねこ
The Maneki Neko (招き猫, literally "Beckoning Cat"; also known as Welcoming Cat, Lucky Cat, Money cat or Fortune Cat) is a common Japanese sculpture, often made of porcelain or ceramic, which is believed to bring good luck to the owner. The sculpture depicts a cat (traditionally a Japanese Bobtail) beckoning with an upright paw, and is usually displayed—many times at the entrance—in shops, restaurants, pachinko parlors, and other businesses. A raised right paw supposedly attracts money, while a raised left paw attracts customers.
Maneki Neko come in different colors, styles, and degrees of ornateness. In addition to sculptures, Maneki Neko can be found as keychains, piggy banks, air fresheners, and miscellaneous ornaments.
To Americans and Europeans it may seem as if the Maneki Neko is waving rather than beckoning. This is due to the difference in gestures & body language recognized by Westerners and the Japanese, with Japanese beckoning by holding up the hand, palm out, and repeatedly folding the fingers down and back up, thus the cat's appearance. Some Maneki Neko made specifically for Western markets will have the cat's paw facing backwards, in a beckoning gesture more familiar to Westerners。
Maneki Neko can be found with either the right or left paw raised (and sometimes both). The significance of the right and left raised paw differs with time and place. The most common belief is that the left paw raised brings in customers, while a right paw brings wealth and good luck, although some believe the opposite. Still others say that a left paw raised is best for drinking establishments, the right paw for other stores. (Those who hold their liquor well are called hidari-kiki in Japan, "left-handed".)
It is commonly believed the higher the raised paw, the greater the luck. Consequently, over the years Maneki Neko's paw has tended to appear ever higher. Some use the paw height as a crude method of gauging the relative age of a figure. Another common belief is that the higher the paw, the greater the distance good fortune will come from.
Some Maneki Neko feature battery- or solar-powered moving arms endlessly engaged in the beckoning gesture.
History
While it is believed that Maneki Neko first appeared during the later part of the Edo period (1603-1867) in Japan the earliest documentary evidence comes from the 1870s, during Japan's Meiji Era. It is mentioned in a newspaper article in 1876 and there is evidence kimono-clad Maneki Neko were distributed at a shrine in Osaka during this time. An ad from 1902 advertising Maneki Neko indicates that by the turn of the century they were popular.
Beyond that, the exact origins of Maneki Neko are uncertain.
A frequent attribution to several Japanese emperors, as well as to Oda Nobunaga and samurai Ii Naotaka, is that one day the luminary passed by a cat, which seemed to wave to him. Taking the cat's motion as a sign, the unknown nobleman paused and went to it. Diverted from his journey, he realized that he had avoided a trap that had been laid for him just ahead. Since that time, cats have been considered wise and lucky spirits. Many Japanese shrines and homes include the figurine of a cat with one paw upraised as if waving — hence the origin of Maneki Neko, often referred to as Kami Neko in reference to the cat's kami or spirit.
One theory ties Maneki Neko's origin, or at least its growth in popularity, to the rise of the new Meiji government. In its attempts to westernize Japanese society the Meiji government banned overtly sexual talismans then popular, often displayed prominently in brothels. With these popular items gone, Maneki Neko soon appeared in their place as a substitute charm, their beckoning gesture perhaps in imitation of a beckoning woman.
Others have noted the similarities between the Maneki Neko's gesture and that of a cat washing its face. There is a Japanese belief that a cat washing its face means a visitor will soon arrive. This belief may in turn be related to an even older Chinese proverb that states that if a cat washes its face, it will rain. Thus it is possible a belief arose that a figure of a cat washing its face would bring in customers.
It is unknown how the Maneki Neko became popular in the United States, but they were known in the U.S. at least in 1963, when Patricia Dale-Green wrote of them in The Cult of the Cat.
Legends and stories
Maneki Neko is the subject of a number of legends. Here are three of the most popular, explaining the cat's origins:
The Temple Cat: This story goes that a wealthy feudal lord was taking shelter under a tree near Gotoku-ji temple (in Western Tokyo) during a thunderstorm. The lord saw the temple priest's cat beckoning to him and followed; a moment later the tree was struck by lightning. The wealthy man became friends with the poor priest and the temple became prosperous. When the cat died, supposedly the first Maneki Neko was made in his honor.
The Courtesan: A courtesan named Usugumo, living in Yoshiwara, in eastern Tokyo, kept a cat, much beloved by her. One night, the cat began tugging at her kimono. No matter what she did, the cat persisted. The owner of the brothel saw this, and believing the cat bewitched, cut its head off. The cat's head then flew to the ceiling where it killed a snake, ready at any moment to strike. Usugumo was devastated by the death of her companion. To cheer her up one of her customers made her a wooden likeness of her cat as a gift. This cat image then became popular as the Maneki Neko.
The Old Woman: An old woman living in Imado (eastern Tokyo) was forced to sell her cat due to extreme poverty. Soon afterwards the cat appeared to her in a dream. The cat told her to make its image in clay. She did as instructed, and soon afterward sold the statue. She then made more, and people bought them as well. They were so popular she soon became prosperous and wealthy.
Color
Maneki Neko come in all sorts of colors. While originally the colors may have been simply decorative, different colors are now associated with different attributes. (Again, the meanings of the colors, like everything else about the Maneki Neko, are incredibly varied):
Tricolor (Calico/Tortie and White): The background is white with random black and orange patches. This coloring is considered especially lucky and is the most popular color for maneki neko. This belief may be related to the rarity of this coloring in the Japanese bobtail cats, after which the Maneki Neko is modeled. Also note that in Japan the colour is called Mi-ke, meaning three-fur.
White: White cats indicate purity and are the second most popular type.
Black: Black Maneki Neko are believed to bring good health and keep away evil. These are especially popular with women as they are supposed to be particularly effective at keeping away stalkers. Like red, they can be associated with good health, but very occasionally.
Red: Red is also a protective color, and is believed to keep away evil spirits and illness.
Gold: Associated with wealth.
Pink: While not a traditional color this color is popular now and is associated with love.
Purple: Brings artistic strength.
Green: Believed to bring academic achievement.
Sunday, March 16, 2008
スピチ--私のすきなスポー
子どもの時に友だちは私が学校の中で一ばんスポーツがすきな人だと言っていました。その時はしゅくだいがあまりありませんでしたから、よくクラスの後で、友だちと一っしょにうんどうするところにいろいろなスポーツをするに行って、おもしろかったと思います。
スポーツの中で、こうりすべりが私の一ばんすきなスポーツです。十一年前に中国でコーチにこうりすべりをおしえるのがはじめました。毎週の週末にこうりすべりのクラスがあって、毎日練習もありました。ところで、コーチは中国でこうりすべりをするのが上手ですが、みんなはクラスをやそんではいけなかったから、ちょっとこわいと思ういました。そして、クラスの後で本とにつかれていた、何も知りませんでしたが、れんしゅうでこうりすべりをするのが上手になりましたから、前よりそのスポーツはかんたんだと思いました。
今まだ、こうりすべりをするのがとでもとくいですが、大学に勉強しに入って、いそがしいから、あそんでいる時間があまりありせん。それから、週末によく新しい友だちと一っしょにパーチに行って、おどりましたから、大学のせいかつのほがおもしろいと思ういました。でもこのごろすずしくなって、私は前のほが元気ですから、うんでんするのがいりますよ。だから、私は来週の週末こうりすべりをするつもりです。
Monday, February 4, 2008
オリンピック
Thursday, December 6, 2007
final draft
私のこうこうの二ねん生の時に一人でアメリカに行って、ヒユーストンのメモリアルこうこうにはいりました。私はこどもの時によくえいごのテレビを見て、えいごをたくさんききましたから、私はえいごがわかりましたが、あまりえいごをはなしませんでしたから、その時は大へんでした。それから、そのこうこうはヒユーストンで一ばんいいこうこうでした。だから、いい先生といい学生がたくさんいました。
私はあたらしいともだちととしょかんに行って、れきしとえいごをべんきょうをしました。でも、しゅうまつはたいていべんきょうしませんでした。ヒユーストンはとてもあついまちでした。だから、私はともだちときれいなうみに行って、いっしょにおよぎました。私はサーフインが大すきでしたから、たのしかったです。
私の先生のうちは大きかったから、そこでパーティがたくさんありました。だから、私は時々ともだちをつれて行って、いっしょにあそびました。それから、私はよく先生のオフィスに行って、しつもんをききました。先生はとてもやさしい人でしたから、私にたくさんおしえて、私をてつだいました。だから、私のこうこう二ねんはおもしろかったです。
Sunday, December 2, 2007
スピチ
私のこうこうの時
私のこうこうは中国で一ばんいいこうこうです。でも私は一年生の時はあまりべんきょうしませんでしたから、いい学生じゃありませんでした。それから、私はスポーツが大すきでした。まいしゅうの木曜日と金曜日の晩はテニスコートに行って、テニスをしまし た。それから、私はともだちとしゅうまつにスケートリンクでいっしょにスケートをしました。とてもたのしかったですよ。でも、私はあまりクラスに行きませんでしたから、ぜんぜんしゅくだいがわかりませんでした。だから、一ねん生の時はたいへんでした。
私は二年生の時、あたらしいがっきでしたから、私はいい学生でした。私はまい日中国ごとれきしとええご を六時間ぐらいべんきょうしました。私のえいごの先生はやさし人でしたから、えいごのクラスは私の一ばんすきなクラスでした。だから、毎日としょうかんに行って、えいごをたくさんべんきょうしました。それから、私は二年生の二がっきに一人でアメリカに行って、ヒューストンのこうこうにはいりました。私はこどもの時よくえいごのビデオを見て、えいご をききました。それから、こうこうの時にえいごをべんきょうしましたから、私のえいごはよかったです。だから、私はあたらしいヒューストンのともだちとえいごをはなして、たくさんりょ行に行きました。
私は三年生の時に中国にかえりました。アメリカの大学 のテストをたくさんべんきょうしましたが、中国のこうこうのテストもべんきょうしましたから、とてもいそがしかったです。だから、私はぜんぜんひまな時かんがありませんで した。私の三年生の時はちょっとつまらないかったです。でも、私のともだちはたのしかったですから、ともだちがだいすきでした。
がっき=Semester
Thursday, November 29, 2007
peer reading
Anyways, this weeks entry is about peer reading.Acutally, I like peer reading a lot because it is a lot of fun to see our classmates speech. And We can learn a lot from them too. Although we didn't learn that much in Japanese, we still can see a lot of creative sentence structures and smart way to use partials and combined sentences. It is also really funny when I see someone's mistake i suddenly realized "oops, i made the same mistake in my speech too! ><" so i gotta go back to change it. Also,honestly, it is less"kowai" than Sato sensei herself read the article, I completely agree with Lam san on this point. Our classmates' suggestion is more like advise, and we can consider a better way to write our speech. Its like we have a second change before turn in to Sato Sensei. Moreover, i figure out it seems easeir for me just correct on our classmates' speech draft's hard copy, instead of the form for the peer reading. But the form allow us to put positive comments to cheer each other up! ^^
By the way, I am kinda worry about the coming oral talk with Sensei and I really hope to see everyone on Sunday @ Clemons. We can all practice together!
minasan!gan ba dde ku dasai!^^
スピーチプロジェクト
私のこうこうは中国で一ばんいいこうこうです。いい先生がたくさんいましたから。それから、学生もいいでしたが。私は一年生の時はいい学生じゃありませんでした。あまりべんきょうしませんでしたから。それから、私はスポツがだいすきでした。まいしゅうの木曜日の晩は金曜日の晩とテニスコートにいって、テニスをしまし た。それから、私はともだちとしゅうまつにスケートリンクでいっしょにスケートをしました。とでもたのしかったですよ。でも、私はあまりクラスに行きませんでしたから、ぜんぜんしゅうくだいをわかりませんでした。私は先生にききませんでしたから、先生はおしえりませんでした。だから、一年生の時はたいへんでしたが。私は二年生の時はあたらしい時でしたから、私はまい日六時間ぐらい中国ごをれきしとええご とべんきょうしました。私のええごのせんせいはやさし人でしたから、ええいごのクラスは私の一ばんすきなくらすでした。だから、まいにちとしょうかんに行って、ええごをたくさんべんきょうしましたから。私はいい学生でした。それから、私は二年生の二ばん学期に一人でアメリカに行って、ヒューストンのこうこうにはいりました。私の子供の時よくええごのビデオをみって、ええご をききました。それから、こうこうの時にええごをべんきょうしましたから、私はええごはよかったです。だから、私はあたらしともだちとええごをはなして、ヒューストンりょこうに行きましたから。ともだ ちはとても元気でしたよ。あのこうこうの先生も元気でした。一っにひるご飯を食べで、しつめんをおしえりました。おもしろいでしたよ。それから、たいでい週末に私の先生のうち でパーチがありますから。先生のうちは大きでしたから。私は時々ともだちをつれてきて、パーチに行きましょう。私は三年生の時に中国にかいました。アメリカ大学 のテストをたくさんべんきょうしました。中国の中学のテストもべんきょうしました。いそがしでしたよ。たから、私はぜんぜんひまな時がありませんで した。でも、私のともだちはたのしかったですから、私はともだちがだいすきでした。私の三年生の時はちょっとつまらないでしたよ。
学期=semester
Sunday, November 18, 2007
私のこうこうの時計
Friday, November 16, 2007
私のこうこうの時計
my japanese class
このスキトは大好きです、みなさんもすきですか。
-----でんわちゅう -----
S:もしもし、リウさんですか。
L:はい、リウさんです。ゴールドマンさんですか。
S:はい、そうです。リウさん、こんばんなにをしますか。
L:私のともだちがうちにきますよ。
S:ああ、そうですか。なん時にきますか。
L:八時ごろです。だから九時半にばんごはんをたべますよ。
S:八時ですか。そうですか。あしたのばんはなにをしますか。
L:いまはわかりません。
S:ああ、そうですか。あの、あしたのばんにぎんこうにいきませんか。
L:ぎんこうですか。
S:はい、そうです。
L:ぎんこうはちょっと。。。
S:でも、ぎんこうにはおかねがたくさんありますよ。
L:ああ、そうですね。。。
S:あの、あしたのあさあいませんか。
L:いいですね。
S:じゃあ、またね。
L:ちょっとまってください。何時にあいますか。
S:ごぜん六時はどうですか。
L:六時はちょっと。。。はやいですね。
S:七時はどうですか?
L:いいですね。どこであいますか。
S:ボードーズベーグルはどうですか。
L:あのボードーズベーグルはどこですか。
S:ボードーズベーグルはスターバックスのとなりです。
L:ああ、そうですか。じゃあ、七時に。
S:じゃあ、ボードーズべーグルで。
----ボードーズべーグルの前で----
L:おはよう。ゴールドマンさん。
S:おはよう。リウさん。きのうしゃしんをとりましたか。
L:しゃしんですか。なんのしゃしんですか。
S:アメリカぎんこうの中のしゃしんですよ。きのうおねがいしましたよ。
L:え、ききませんでしたよ。
S:ああ、そうですか。ごめんなさい。
L:でも、アメリカぎんこうの中のマップがありますよ。
S:いいですね。わたしはまちのマップがあります。
L:じゃあ、どのアメリカぎんこうにいきますか。
S:コーナーにあるアメリカぎんこうにいきましょう。
L:コーナーのどこにありますか?
S:ロタンダの前にあります。マディソンハウスとボードーズベーグルのあいだにありますよ。
L:ああ、そうですか。ぎんこうのどこにたくさんのおかねがあるかわかりますよ。
S:どこにありますか。
L:おかねはまどのみぎです。それからつくえのひだりにもあります。
S:ああ、そうですか。いぬはいますか?
L:はい、ドアのとなりにいます。
S:え、いぬですか!
L:はい、そうですよ。なんじにぎんこうであいますか?
S:ごぜん七時半はどうですか。
L:いいですね。じゃあ、七時半に。
S:じゃあ、ぎんこうの前で。
----アメリカぎんこうの前で----
S:リウさん、わたしはリウさんをここで一時間待ちましたよ。
L:ごめんなさい。私はバスていでバスを二時間待ちましたよ。
S:そうですか。中にいきましょう。
----アメリカぎんこうの中で----
S:おかねはここですか?
L:いいえ、おかねはあそこですよ。
(Sarah opens up a box…)
S:リウさん、おかねがたくさんありますよ!
L:いいですね!でも、犬はどこですか?
S:私はみませんでしたよ。
(The dog suddenly appears)
L:ゴールドマンさん、犬がうしろに!
S:リウさん、おかねをとっていまかえりますよ!
L:はい!
Thursday, October 25, 2007
I love Garfied
Money is not everything. There’s Mastercard & Visa.
One should love animals. They are so tasty.
Save water. Shower with your girlfriend.
Love the neighbor. But don’t get caught.
Behind every successful man,there is a man.And behind every unsuccessful man,there are two.
Every man should marry. After all, happiness is not the only thing in life.
The wise never marry, And when they marry they become otherwise.
Success is a relative term. It brings so many relatives.
Never put off the work till tomorrow what you can put off today.
Love is photogenic. It needs darkness to develop.
Children in backseats cause accidents. Accidents in backseats cause children.
“Your future depends on your dreams.” So go to sleep.
There should be a better way to start a day than waking up every morning.
“Hard work never killed anybody.“ But why take the risk?
“Work fascinates me.“ I can look at it for hours!
God made relatives; Thank God we can choose our friends.
When two’s company, three’s the result!
A dress is like a barbed fence. It protects the premises without restricting the view.
The more you learn, the more you know, The more you know, the more you forget. The more you forget, the less you know. So why bother to learn.