Sunday, December 7, 2008

じゃあ`


今学期の日本語の従業の方が前学期より面白いと思います。もう難し文法や単語を勉強したから、本当の日本人は毎日使う会話をはなせます。それから、先生と友達にメールを書く時も日本語を使えるから、私は本当に嬉しくなります。今は二年生の学生で、来学期日本語もとりたいです。そして、来年の夏休み日本に留学に行くつもりだし、その時、「もっと日本語を頑張って勉強すればよかった」と思うのが欲しくないし、来年も绝对もう一度頑張ります!

Saturday, December 6, 2008

私のプロジェクトーーー手塚治虫


手塚治虫は日本で有名なマンガかで、1928年に大阪で生まれて、神戸で住んでいました。子供時代、 天文学や昆虫学が興味を持つ事になりました。その興味は大人時とても大切になりました。

1946年に大学を卒業した手塚治虫は「マアチャンの日記帳」という始めの漫画を発表しました。それから、一年後、「新宝島」という 漫画を作りました。その漫画を書くために、新しいスタイルを使ったそうです。今も漫画を書く人が使うから、そのスタイルは日本の漫画の歴史の中で大事です。

手塚治虫は有名なてつわんアトムという漫画を書きました。その漫画は1963年大きいテレビ局でアニメになって、皆日本人は本当に好きだったそです。そして、このアニメのへいきんしちょうりつ(平均視聴率)は30%以上人気があって、その後、世界で色々な国でも発表しました。あなたも見たことがあるかもしれません。それから、アトムのアニメは大ヒットになったから、一週間に一回テレビで出ていたそうです。今の漫画もそのように出ています。

子供の時は四十時代だから、手塚治虫は戦争の経験がよくあったそうです。だから、手塚治虫は一生の間に漫画を読む人が彼の作品を読むと、平和について考えるのが欲しかったです。今まで手塚治虫の漫画は四百五十冊作って、日本で漫画の賞を九個もらいました。

しかし、治虫さんは1989年に病気になり、がんで亡くなったが、病気の時も仕事を絶対続け、「火の鳥」を書きました。亡くなる前に「えんぴつをかしてくれませんか」と聞いたそうです。手塚治虫はいつもがんばっている人だから、それは本当に治虫さんのようなことです。

手塚治虫の漫画の学生は今も昔も多いです。たとえば、八十時代の子供が一番好きなドラゴンボールというアニメを作った鳥山明によると、いつも手塚治虫の漫画をまねたそうです。それから、ドラえもんの作者も治虫の学生だし、手塚治虫は本当に日本の漫画の父だそうです。一九九四年、治虫の切手が出って、珍しかったから、手塚治虫のファンはとても喜びました。そして、三年後、手塚治虫は住んでいる町で手塚治虫の資料館が開けて、手塚治虫に興味がある人は日本に行ったら、そこに行くといいですよ