Saturday, December 6, 2008

私のプロジェクトーーー手塚治虫


手塚治虫は日本で有名なマンガかで、1928年に大阪で生まれて、神戸で住んでいました。子供時代、 天文学や昆虫学が興味を持つ事になりました。その興味は大人時とても大切になりました。

1946年に大学を卒業した手塚治虫は「マアチャンの日記帳」という始めの漫画を発表しました。それから、一年後、「新宝島」という 漫画を作りました。その漫画を書くために、新しいスタイルを使ったそうです。今も漫画を書く人が使うから、そのスタイルは日本の漫画の歴史の中で大事です。

手塚治虫は有名なてつわんアトムという漫画を書きました。その漫画は1963年大きいテレビ局でアニメになって、皆日本人は本当に好きだったそです。そして、このアニメのへいきんしちょうりつ(平均視聴率)は30%以上人気があって、その後、世界で色々な国でも発表しました。あなたも見たことがあるかもしれません。それから、アトムのアニメは大ヒットになったから、一週間に一回テレビで出ていたそうです。今の漫画もそのように出ています。

子供の時は四十時代だから、手塚治虫は戦争の経験がよくあったそうです。だから、手塚治虫は一生の間に漫画を読む人が彼の作品を読むと、平和について考えるのが欲しかったです。今まで手塚治虫の漫画は四百五十冊作って、日本で漫画の賞を九個もらいました。

しかし、治虫さんは1989年に病気になり、がんで亡くなったが、病気の時も仕事を絶対続け、「火の鳥」を書きました。亡くなる前に「えんぴつをかしてくれませんか」と聞いたそうです。手塚治虫はいつもがんばっている人だから、それは本当に治虫さんのようなことです。

手塚治虫の漫画の学生は今も昔も多いです。たとえば、八十時代の子供が一番好きなドラゴンボールというアニメを作った鳥山明によると、いつも手塚治虫の漫画をまねたそうです。それから、ドラえもんの作者も治虫の学生だし、手塚治虫は本当に日本の漫画の父だそうです。一九九四年、治虫の切手が出って、珍しかったから、手塚治虫のファンはとても喜びました。そして、三年後、手塚治虫は住んでいる町で手塚治虫の資料館が開けて、手塚治虫に興味がある人は日本に行ったら、そこに行くといいですよ

1 comment:

エリカ said...

リウさんは手塚治虫についての発表は面白くて上手だったと思いますよ!